愛する恋人同士は愛する糸で結ばれているという言葉がありますが、
なぜ赤い糸なのでしょうか?赤い糸にまつわる歴史・由来を調べてみました。
運命の赤い糸の由来・歴史
北栄時代に、李ムら12名らが奇談を集めた太平広記という本を
977年〜978年にかけて出版しました。(全500巻/7000編にもなります。)
その中の1つ、「定婚店」が運命の赤い糸という言葉を生み出しました。
定婚店の物語の内容
唐の時代の韋固(いこ)という人物が旅の途中、
宋城の南の宿場町で不思議な老人(月下老人)
と出会います。その老人は月光の下、冥界の本を読んでいました。
冥界の本に興味を示した韋固(いこ)は本の内容を聞いてみました。
すると、老人は「私は婚姻を司る者である。冥界で結婚が決まったら赤い縄を
持って現世に行き男女の足首に赤い縄を結んでいるのだ」と言いました。
しかも、「この縄で結んだ男女は距離・境遇かかわらず、必ず結ばれるのだ」と言いました。
縁談(婚活)に失敗し続けている韋固(いこ)は、
「では、私は誰と赤い縄で結ばれるのか?」と聞いた所、
「宿場町で野菜を売る老婆が育てる3歳の幼女」であると答えました。
その幼女を韋固(いこ)が見に行くと、そこには醜い少女の姿がありました。
気が動転した韋固(いこ)は、召使に幼女を殺すように命令し、
召使は幼女の眉間に刀を一突きして逃げました。(幼女は一命を取り留めました。)
その後、14年間、縁談(婚活)がうまくいかなかった韋固(いこ)は
17歳になる美しい娘を紹介されついに結婚しました。
実は、その娘が韋固(いこ)が召使に頼んで殺害しようとした幼女だったのです。
韋固は14年前のことを全て打ち明けて二人は互いに結ばれました。
その話しが、宿場町に広まり、町名は定婚店となりました。
世界各国への広まり
日本では、これが、「足首の赤い縄」から、「手の小指の赤い糸」へ変わりました。
ユダヤ人の間では、邪視のもたらす災いから身を守る為
に赤い毛糸を左手首に巻くという習慣があります。
アメリカなどにも幸運のお守りとして広まっています。 |